50th JAST, TURNING POINT.

MESSAGE

CROSS TALK03

揺るぎない信念と
経営哲学があってこそ
企業は持続的に成長できる

ビル・トッテン 氏 × 平林 武昭

ビル・トッテン 氏

1969年に米国大手ソフトウエア会社の社員として来日。日本こそパッケージ・ソフトウエア販売の有望な市場だと確信するも、会社に受け入れられず退社。自ら販売権を取得し、1972年に日本初のパッケージ・ソフトウエア販売専門会社、株式会社アシストを設立。2012年から代表取締役会長に。1980年代のアメリカによる日本叩きに反論した『日本は悪くない』をはじめ、著書も多数。

株式会社アシスト

ITに関わる人間なら誰もが知っている『Oracle Database』を日本に普及させた企業です。ただソフトウエアを提供するのではなく、パッケージ・インテグレーターとして顧客の課題解決をトータルにサポートされており、JASTもさまざまな部門で業務提携しています。

コンピュータの黎明期に
ソフトウエアの可能性を見出した2人

平林武昭(以下平林) 本日はご自宅にお招きいただき、ありがとうございます。私たちは同じIT業界で創立年も年齢も近く、似ているところがありますね。

ビル・トッテン会長(以下トッテン会長) そうですね。平林さんは何歳の時に会社をつくりましたか?

平林 35歳の時です。今年で設立50年目になります。

トッテン会長 私は31歳の時でした。アシストは1972年設立なので、会社の年齢は同じくらいですね。

平林 アシストさんは設立51年ですね。トッテンさんは、その前もIT業界にお勤めでしたよね。

トッテン会長 私が大学卒業後に入った会社は、アポロ計画に携わったロックウェル社でした。はじめはプログラマーだったのですが、プログラミングが下手だったから、すぐに営業に移りましたけれど(笑)。そこのコンピュータルームはフットボールフィールドと同じくらいの大きさがあって、当時ものすごく高価だったコンピュータが並んでいました。

平林 真空管コンピュータですよね。十万本くらい使われている真空管の劣化スピードがそれぞれ違うから、そのテストに時間がかかりましたね。24時間のうち8時間くらいしか使えなくて、あとはテストばかりという時代でした。懐かしいです。ロックウェル社のあとはどうされたのですか。

トッテン会長 次に米国大手ソフトウエア会社システム・デベロップメント社(SDC)に入り、1969年に市場調査のため日本にやってきました。はじめは都市銀行にヒアリングしたのですが、1ドル360円の時代で人件費はアメリカの方が圧倒的に高かったですし、日本語も日本の社会も知らないSDCに日本企業向けソフトウエアの受託開発は無理だとアドバイスされました。そこで、日本市場にはパッケージソフトウエア・ビジネスだとSDCに進言したのですが受け入れられず、それならと自分でやることにしました。

平林 目に見えない「ソフトウエア」という商品の価値も、全く浸透していませんでしたしね。それに、日本人は小さな島国に育ったせいか細かいところまで完璧にしたい性格で、自分の会社にぴったりのものをつくろうとする。どちらかというと既製品を避けたいんですね。昔はそれで良かったのですが、今は進歩が早いので、それではコストもかかるし時間も足りません。

トッテン会長 既製品を買う方が効率も良く、経済的です。でも、JASTさんは自社でシステムを開発していますよね。

平林 メインフレームはつくりますが、あとは適切なミドルソフトをアセンブリします。世界中から優れたものを探して組み合わせていくイメージですね。なので非常に効率が良い。アシストさんが扱うようなパッケージ・ソフトウエアはそれに貢献されているので、とても尊敬しています。

トッテン会長 9割は既製品でも、会社によって業務内容が異なることで、残り1割は会社ごとに合わせなければいけません。JASTさんは病院向けや大学向けなどいろいろな製品を出されているので、業界ごとに専門的な知識も必要でしょう。一時期アシストでも経理ソフトを扱っていましたが、社内に経理のわかる人が少なくて、とても難しかったです。

平林 私はソフトウエアには無限の可能性があると確信していたので、当初から分野を絞らずあらゆる業界に対応しようと進めてきました。その考えは今も同じです。確かに専門知識は必要ですが、例えば医療・ヘルスケア分野に関しては、「未来共創ラボ」を立ち上げ、大学との共同研究などを推進しています。

必要なときに勇気を持って
判断したことが
ターニングポイントに

平林 当社が自社製品を手掛けるようになったのは、創立から10年ほど経った頃です。創立時はお客様の元で業務を行う受託システムでスタートしましたが、会社を発展させるために自社製品開発に着手し、1994年に戦略的大学経営システム『GAKUEN』シリーズを発売しました。当社独自のJASTブランド製品を持ったことは、今のJASTにつながる大きなターニングポイントだったと思います。
トッテンさんもおっしゃっていたように、創立当時、ソフトウエアはハードウエアのおまけ的存在でした。目に見えるハードウエアばかり重視されていましたから。でも、ソフトウエアによるデータ分析やシミュレーションによる戦略、データの利活用といった、目に見えないところにこそ価値があるのではないかと感じていたんです。見えるものや触れられるものにしか価値を認めないという考え方を、変えるのが夢でした。今、その夢が実現しています。ハードウエアのおまけだったものがIT産業へと成長し、IT産業が他の産業を活性化する起爆剤になっていることに感激しています。

トッテン会長 私やアシストにとってのターニングポイントの一つは、創立10年目、会社全体で価値観を共有するために『Second Decade』という文章をまとめたことです。私はほとんど社外で営業活動を行っていましたが、あまり会社に顔を出さなくても「背中を見せること」で私の行動や考え方を社員に伝えていました。ですが、社員が増えてきた頃に、アシストの価値観を明確にする必要があると考えたのです。まず私がタタキ台となる文章をつくり、幹部たちに意見を聞いて修正し、当時70名くらいだった社員全員に意見を聞いてまとめました。それは後に『哲学と信念』として改訂し、今も引き継がれています。

平林 社員たちの意見を聞いたのですか。日本語で「衆知を集める」という表現がありますが、いろいろな人の知恵や意見を取り入れたのは素晴らしいですね。

トッテン会長 もう一つのターニングポイントは今の社長、大塚辰男を後任に選んだことですね。創立から40年くらいの時です。何年も前から彼の働きや人柄を見ていて、数ヶ月かけて説得したんですよ。私は40年間社長を務めましたが、彼はその後の10年間で会社の規模を倍にしました。売上も社員数も倍になり、会社の雰囲気もすごく良い。彼は次の世代をしっかりと見ているので、いずれとても優れた人物を3代目の社長に選ぶでしょう。『Second Decade』や『哲学と信念』をつくったこと、後任に彼を選んだこと、この2つは私にとって大きなことだと思います。3番目は、まだ途中ですが、中国語を勉強していることでしょうか。

平林 中国への進出を考えているのですか?

トッテン会長 進出ではなく、中国のソフトウエアを日本で販売したい。中国の良いものを探し出して、日本に紹介したいと思っています。

会社を続けていくために大切なことは
自分を含む社員の人間性と教育

平林 アシストさんは、会社の軸となる哲学を大切にされていますよね。当社も創立以来、ずっと経営理念や人づくりを大切にしてきました。

トッテン会長 アシストでは、採用する時には出身大学や学部よりも人間性を重視します。工学部出身なのか歴史専攻なのか音楽専攻なのかよりも、どういう人間かが大事です。この人と40年一緒に働きたいか、この人をアシストの代表としてお客様の元へ出したいかどうか。仕事内容はすぐにでも教えられますが、人間性はそういう訳にもいきませんから。

平林 そうそう。技術力だけではダメで、人間性がより重要ですよね。私は、当社の社員は他社とは全然違うという自信を持っています。お客様も「JASTの社員は他とは違う、何か持っているね」と評価してくださいます。社員たちが、打算や格好つけではなく、一生懸命に真摯に取り組んでいることを、お客様もわかってくださるのだと思います。

トッテン会長 申し訳ないけど、私も同じ自信を持っています(笑)。

平林 それは失礼しました(笑)。おっしゃる通り、人間性のように目に見えないものこそ大切ですよね。

トッテン会長 会社の価値観などもそうです。私が大学院で経済学博士号を取得した際、東洋経済の教科書は『論語』でした。面白いと思いましたね。当時は日本のことを何も知りませんでしたが、来日後、やはり日本は論語の国だなと思いました。今ではなく、50年前のことですけど。

平林 日本の近代化に尽力した渋沢栄一は「右手にそろばん、左手に論語」を唱えました。つまり道経一致、道徳と経済は片方だけでなく、両方が揃わないといけない。松尾芭蕉の言葉に「不易流行」がありますが、それが当社の経営理念のもとになっています。どんなに時代が変わっても変えてはいけないものは守る、時代とともに変化することは取り入れる。「変わらぬ原理」と「変わる経営」を使い分けています。価値観が多様化する時代においても、目先の経営技術に惑わされてはダメ。確固とした企業哲学、企業姿勢がなければ持続的成長はないと考えています。

トッテン会長 私は40年間社長を務めてきました。その中で感じたのは、先ほども話しましたが、哲学と信念を伝えて背中を見せることが一番大切だということです。当社は、どの事務所でもフリーアドレスで、社長以外は個人の机がありません。私も社員たちと一緒に座って仕事をしています。そこで自分の行動を社員に見てほしい。そして、そこから感じ取ってほしいと考えています。

平林 昔はよく背中を見て人は育つと言いました。古いかもしれないけど、時代は変わってもそういう良い部分は残したいですね。また、私は一日一日、その瞬間瞬間を生きていたいので、常に夢を持っていたいと思っています。大きい小さいは別にして、仕事でも趣味でも良いので、何か夢がないと本当の老人になってしまいます(笑)。私の場合は、仕事関係になるでしょうが。儲けるためではなくて、仕事はやりがい、生きがいなんです。

トッテン会長 仕事より楽しいことはないでしょう?

平林 ないですね。

トッテン会長 私もそうです!

果樹が茂り動物が暮らすお庭のように、ナチュラルな雰囲気でふたりの会話が弾みました。